楠御前八柱神社(楠の宮)

旧暦1月22日には祭礼日

楠御前八柱神社が正式名で祭神はイザナギの命、イザナミの命、それに久須姫の命(天照大神の斎王)の神々です。
この神社の起源は、十二代景行天皇の頃神宮に奉仕することになった久須姫が、神宮へ御納めする食料を得るために御食つ国、志摩へ御使いになりました。有る小さな村に来ると、打ち寄せる波の美事さに魅かれこの村を浪張りと呼ぶことにしたそうです。これが南張と言う地名になったと言うことです。
その後姫は南張に住み着き、九十余歳の年を全うしてお隠れになったために、漁民ら村人達は姫の徳を称えてその地に楠の木を植えて祀ったのが楠の宮の由緒です。
旧暦の1月22日が祭礼日になっており、安産、延命長寿、無病息災などの参詣客で大変な賑わいを見せます。

佐美長神社

倭姫命が志摩国を巡行した際、
一羽の真名鶴が稲穂をくわえているのを見つけ、祀ったのが始まり

日本三大御田植祭りの行われる伊雑宮の所管・所属の社で「穂落社」とも称される。

大慈寺

「あじさい」と「てんれい桜(河津桜)」の美しい寺

当山は、志摩国七福神弁財天・布袋尊の霊場として、また四天王病封じ霊場のガン封じ足腰弱り止霊場として信仰を集めています。
当山は、また花の寺として、早春2月下旬~3月上旬には「てんれい桜(河津桜)」、6月には1500株の「あじさい」が境内に咲き乱れ、あたかも「花極楽」の観を程します。

片田稲荷神社

絵天井は圧巻です

漁業の神として信仰を受ける稲荷神社。野村訥斎とその弟子たちによって描かれた48枚の格子絵天井が有名。

越賀神社

弓引き神事の越賀神社

本殿は木造の神明造り。朝鮮出兵のとき、越賀隼人が持ち帰ったと伝えられる獅子頭、天狗面などが神宝として祀られています。

御座爪切不動尊

弘法大師ゆかりの不動堂。

延暦年間、弘法大師が唐(中国)から帰って真言密教の布教霊場を建立するため、全国を巡ってよい環境の地を探し求めて御座に来られました。金比羅山で百日の護摩供養の後、自らの爪で地中から突出している自然石に不動明王像を刻まれたと云い伝えられています。
村民は、これを爪切不動として信仰し、一堂を建てて霊場とし、絶対秘仏としています。
境内は緑濃く幽すいな雰囲気が漂い、静寂そのもので、不動堂の他に開祖弘法大師をまつる大師堂をはじめ、薬師堂、子安地蔵などがあります。

(志摩町史 改訂版,志摩町教育委員会,2004年)

和具観音堂

銅造如来坐像は重要文化財

かつての真言密教の修行僧の祈祷所で、その造立も古く、国の重要文化財に指定されている銅造如来座像の他、県の指定文化財に指定されている十一面観音立像(平安時代から伝わる)などを伝存している。
※ペット同伴可(事前にご相談下さい)

創建年代:鎌倉

安乗神社

安全によい波に乗る!
「波乗守」を求めて全国から参拝者が訪れます。

9月に境内で行われる伝統の安乗人形芝居、中高生も含めた地元有志の熱演は力強く美しく、非常に見ごたえがあります。

宇賀多神社

合格祈願のパワースポットとして人気です。

「受かった」「うっ勝った」と発音できることから「縁起がいい」と受験生や高校球児や悩める人たちのパワースポットとして大人気です。毎年正月3日江戸時代から続く獅子舞が奉納され、賑わいます。

志摩国分寺

天保7年(1836年)から約7年の歳月をかけて建立されたお寺

奈良時代、聖武天皇の勅により、仏教拡大と一国一寺の詔に基づいて志摩国分寺として創立された。(現存の建物は、天保13年に建て替えられた。)毎年5月8日は、花まつりで賑わう。本尊の薬師如来座像は県の文化財に指定されている。ご開帳は20年に1度。

汗かき地蔵(堂の山薬師堂)

吉事には白汗、凶事には黒汗をかく・・・という言い伝えがある。

そのむかし、大王崎波切浦の浜の口に宗左衛門という漁師が住んでいた。ある日宗左衛門は大王島の沖合へ出て、いつものように網をいれた、ところが、その日に限って魚は一匹も獲れないので、どうしたことか、といぶかしく思っているうちに、長さ1メートルもある石が網にかかってきた。
「なんじゃい、これは」
宗左衛門は、舌うちしながら石を海へ投げ捨てて沖へ舟を漕いでいき、網をいれたところ、さっきの意思が、かかってきた。
「また石か?」
宗左衛門は、つぶやきながら石を捨て、今度は方角をかえて漕ぎ進んでいき、網をいれたところ、また同じ石が、かかってきた。
 一度ならず、二度三度まで同じ石が、これは不思議な、と思った宗左衛門は、この石を船に積んで漕ぎ戻り、浜の土堤下へ置いた。
数ヶ月がすぎ、村の子供たちが浜へ出て遊んでいるうちに、この石へ小便をかけると、その子は熱をだし、足で蹴った子は足が腫れるようになってきた。
「これは奇妙な、タタリ石じゃ・・・」
と、いっているうりに、雨風にさらされて、くっついていた貝がらや海藻がとれて石地蔵のかたちが表れてきたので村人たちは相談して石屋に頼んで姿を整えたうえ、村はずれの小高い丘の堂の山にホコラを建て祀ることにした。
 ところが、この地蔵、村が大漁や豊作のときは、白い汗をかき、反対に地震や津波、また不漁や難波や不作のときには黒い汗をかいて村人へ予告するようになった。
 この噂が近村にひろがっていくと、隣り村から、この地蔵を盗もうと数名の悪者が波切村へやってきた。夜の闇にまぎれて縄でしばってかつぎだし、村はずれの坂道へさしかかって、ひと休みしようと地べたへ置いてから一服し、さて、かつぎあげようとしたところ、どうしたことか、押しても突いても動かない。
 そうこうするうち、夜が白みはじめた。
 悪者たちは、地蔵をそのままにして逃げ返っていった。それからは、何処からも盗みにこなくなり、村人たちは、今までよりいっそう大切にこの地蔵をまつった。

現在では、毎年2月24日に、海上安全、大漁満足、家内安全、家業繁盛、交通安全などを祈願して祭りが行われている。

磯部神社

元旦には第一鳥居の真ん中からご来光を拝むことができます。
志摩市磯部町にある伊雑宮・佐美長神社・磯部神社の三社詣もおすすめです。

静かな境内の中に風格のある社殿。毎年11月11日には、磯部神社御礼祭が行われ、みこしをかつぐ子どもたちの元気な掛け声が響きわたります。

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